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鷲見春也(すみはるや)(2022年入社)
入社のきっかけは学校の先生の勧めもあり、また、これまで多くの先輩が入社している会社だったからです。
入社後は199㌧~499㌧まで一般貨物船に乗船し、現在は2等航海士の職務に就いています。航海士としてまだまだ未
熟ですが着実に船員として実力をつけています。着実に実力をつけているとはいえ、これは私だけの努力ではなく、先輩クルー皆さんの見守りがあったからだと思います。
私がこれまで乗船した船はどの船も仕事に厳しいところは当然ありますが、皆さん親切で船内生活も楽しいです。書かされてる感満々だと思われそうですが、船内は和気あいあいとした良い雰囲気です。
会社の良いと思うところは、短距離航路の船から日本一円を航海する船まで色々な船に乗船できるところだと思います。また、仕事が一人前に出来るようになったら、一般貨物船以外の船種も経験できるところも良いところだと思います。

入社2年でまあまあ頼りにされているので、この「まあまあ」が「めちゃめちゃ」に変わるよう日々精進しております!!

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音田幸春(ベテラン船長)
戦後、兵庫県下の機帆船を集めて会社組織としたのが当時の兵庫機帆船運送(株)、のちの兵機海運(当社関連会社)で、淡路で機帆船の船主だった父は出資者の一人でした。
私は昭和30年3月に中学卒業してすぐ船員として乗船。船乗りになって62年間ずっと兵機海運の所属船に乗船していて、いまの船で8隻目ですね。
私は家業を継いだ形でしたが、当時は日活でマドロス(船員)を取りあげた映画が盛んで、船乗りにあこがれる若者は多かった。やっぱり映画の影響でヤクザにあこがれるのも多かったけど(笑)。
いまはなり手が少なくなって寂しいね。船員=柄の悪い職業、仕事内容がキツイ、といったイメージがあるがそれは昔のこと。以前は相当時化ていても無理して航海していたけど、このごろはそんなことは絶対にしない。休日も、私が船員になった当初は1年のうち数日しかなかったがいまは違う。昔を知っていると、いまは本当に環境が良いと感じるね。
映画が宣伝がわりだった時代から、それがなくなったいまは、もっともっと船員の仕事や現状を宣伝していかないとね。いい仕事なんだから。ちゃんと伝われば、若い子にももっと興味をもってもらえると思います。

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横田怜那(れな)(入社当時のコメントです)
私の祖父は船乗りをしていました。幼い頃から当時の話をよく聞いており、自然と将来は船関係の仕事に就きたいと思うようになりました。その夢を叶える為に水産高校に進学。高校卒業後、専攻科に進むか就職するかで迷いましたが就職することにしました。就職するといっても、まだまだ男社会のこの業界では女性船員の求人が無く、困っていました。そんな中、海技者セミナーに参加したところ、ある女性船員の方が声をかけてくださいました。その方は、私が現在勤めている七洋船舶管理の方でした。
正直なところ、フェリーで航海士として仕事をしたいという思いが強かったので、まさか視野に入れていなかった貨物船で働くことになって学生時代にビックリしたのを今でも覚えています(笑)。
現在は800トン積みの貨物船に2等航海士として乗船中です。航海士としての仕事をしっかりとこなせるようになったら、将来は機関にも挑戦したいと思っています。
これから先、どんどん女性船員が増えていって、女性にとって働きやすい環境づくりをして、「いつか女性だけで船を動かす」そんな日がきたらいいなと思っています。

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山下伸空(のあ)(入社当時のコメントです)
もともと魚介類と釣りが好きで、進路を決めるときに「釣りができる学校がある」と聞いて、そこしかない!と思い焼津水産高校に決めました。
入学当初は漁師を目指していましたが、2年生の頃から商船にも興味を持ち始めるようになりました。しかし、「商船は乗船が長期になるところがほとんどだからなぁ」と思い込んでいたところ、進路相談に際して、先生から「こんな会社があるよ」と勧められたのが「7(編注:七洋船舶管理)」です。そして、応募前に職場見学をして、「乗るならここだ!」と思うに至りました。
入社してからは給料の大半が大好きな甲殻類に消えて行きます。まだ若いけれど痛風にならないよう気を付けます!

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